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- 茶町(近世~近代)とは
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茶町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は鳥取城下四十八町の1町町人地鳥取城の南西,城下町の西部に位置し,東は鹿野街道,西は旧袋川に面する東は鹿野街道を挾んで二階町4丁目と向きあう町名の由来は,藩主池田光政の時茶屋与右衛門(道本)が7間半の間口の茶店を開いたことにちなむと伝えられる(因幡志)また,袋川より茶を当地に陸揚げしたことにちなむともいう(鳥府志)家数は,寛永11年26(因幡志),安永7年52(藩史5)安永7年の表口間数134間余,町役員負担数138人余(同前)伯耆【ほうき】街道の伯耆口に立地し,道幅が広く,商店が多かった旧袋川に架かる鋳物師橋は問屋の手を経ない鰯類を即売する地であり,各種の舟が千代【せんだい】川の河港賀露【かろ】港より物資を積んでさかのぼってきたので,仲仕・日雇の人々が毎日集まった地でもあった明治9年の戸数87・人口316(鳥取市史)同22年鳥取市に所属明治期以後,陸上交通の発達とともに商業的機能を失って住宅地となり現在に至る昭和42年魚町尻・三軒屋・本町1~4丁目の各一部を合併し,一部が元魚町1~4丁目となる世帯数・人口は,昭和35年70・287,同45年89・307 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」